私達の世界にも実は「学会」というものが存在しております。料理学会って聞くとピンとこないかもしれませんが、授業や講習会とは別のものです。医療に関る方々の医学学会って聞くと、なんとなくイメージが沸きますよね。
私は料理人ですので誠に恐縮ではございますが、今日は、その“お医者様”に例えてのお話を、恐れ多くも少しだけ…
私はこれまで料理人として、34歳の時から世界中で開催されている様々な料理学会に招かれる機会を得る事が出来ました。その会場で、これまで大きな感動を味わい、貴重な経験をさせて頂きました。使命とは何なのかを考えさせられたりもしました。私は料理人として、まだまだ未熟でございますが、日本料理の啓発活動として、私がこれまで学会でプレゼンテーションしてきた、過去の映像のいくつかを、こちらで皆様にご紹介出来れば…という想いで、この小部屋を作りました。
お医者様及び医療に関る方々が、病気に対する新たな治療法や新薬の開発、特定の医師の方だけが持つ技術… それらを、医学の発展と貢献の為に学会で発表し、患者様がどこのクリニックに掛かったとしても、安定した最高レベルでの治療を施してあげる為に、医師達が高い技術を共有する為の入り口は、医学学会の場での、あらゆる医師達の発表内容が世界の医療を高め合い、そして支えている…
と私はある医師から聞いた事があります。
医師は、御自身の顔を実は二つ備えていると伺っております。
まず、一つ目の顔…。
それは、目の前に現れる、患者様に医療のプロとして自分に出来うる最善の治療を施す事。
そして二つ目は、自身が身を置いている医学界に対し、ユニバーサルな医療レベルの底上げに一人一人が使命感を持って貢献し、現場とは違う場所においても日夜研究を重ね、学会での研究発表に備える準備を常に意識下で持ち続けている…という事。
その意識の根源は、
『自らがプロとして身を置く、医学界の発展に惜しみない貢献をする』=『尊い命に対し、人々の健康維持を探り、治療法を進化させ、不治を克服し、同じ使命感を持った者同士で知識を共有し合い、人々の安心と幸せを大きな力で保証する』
そんなプロとしての立場の裏には、ミスの許されない過酷で厳しい世界で、自分は生き残っていくという覚悟が常に伴う…
しかし医師達は、科学的、医学的な根拠を軸に“気概”と“信念”を持って自らの、使命と責任を全うする。
その努力の結果は、病に苦しむ者にとっては『大きな希望』となり、医師として、その使命を全うする者にとっては、それが『最高の名誉』となり、双方にとって、『尊い』ものとなる。
人々が生きていく上で、医療を必要とする度合いは桁違いに大きい…。
しかし、ものを食べる事はこの世に生けるもの、全てに関ってくる事ではないのか…。最高の“癒し”にも成り得るものなのではないのか…
恐れ多くも、今の話を私が勝手に我々の“職”に置き換えたとしたら…
まず最初、白衣を着ているって事までは同じです。
そして、今日、自分の料理を食べに来て頂けるお客様に対し、プロフェッショナルとして自分が作る事の出来る最上の料理を提供すると共に、まず第一に『美味しい』という喜びを感じて頂く。そして、全力でお客様がお店で過ごす幸せな時間を保証する…
ちょっと、お医者様的に例えさせて頂くと、それは今日、来店して頂いたお客様の気持ちが、
『今、私は美味しい物が、どうしても食べたいんだ…。それを気持ち良く癒す為に今日、自分にとって一番良い療養所(レストラン)を選んで、ここに来たんだ…ちゃんと診てくれるのか』
という、日常的に何度も発作的欲求が起きる、我慢の難しい症状を心に抱え訴えている
(とても不適切な表現ですが、例えである事をご理解頂き、お許し下さい。そして、これ…実は保険も利きません)
素敵なグルメの方々を我々料理人が心身共に満たし、完璧な施術(料理)でもって治癒する…。
といった本業としての最も大切な使命と役割。
(海外でのこの発言が後に、『Healing cuisine by Japan』という、フレーズを生み出す元となる)
それがまず、私の一つ目の顔…
そして二つ目の顔は自分が身を置いている「飲食サービス業界」に対する貢献。
とある一人のシェフが、世界を虜に出来るくらいの、美味しい料理を開発したと仮定します…。
話は逸れますが、ここで、もう一度同じく白衣を着るお医者様に例えさせて頂きますが、自分にしか治せない不治の病の治療法を、自分だけが知っているお医者様が居たとします…。
そのお医者様は、その不治の病を患った患者様に対して、地球の反対側であろうとも、この病気は未来永劫、私の所に来て私が開発した治療を受けなければ、あなたは死にますよ…と言うでしょうか?
その治療技術や治療プロセスは、それを開発した医師により、人命救助の使命感と共に学会で発表され、立ち所に世界に伝えられていくはずですし、何より世の中がそれを望みます。
それを私達料理人に置き換えると、素晴らしい美味しさを伝える料理があれば、人々が生きて行く三大欲求の一つ…食べる事への欲求の一つをラグジュアリーに、そして非日常的な感覚に包まれながら、心を満して頂く事が可能となり、その料理のレシピやプロセスを公開する事により、いつ、誰が、考案したかを明らかにすると共に、それを隠す事無く、公開し、それが、あらゆるシェフ達に広まって行き、それを共有し、結果、レストランに集うあらゆるグルメなお客様の幸せに繋がって行くという事が、21世紀を生きる我々、料理人に求められた大きな責任、そして使命なのではないのか…と私は思うのです。
事実、料理学会の目的や趣旨はここにあるのです。
同じ白衣を着たお医者様と、使命を全うする気概だけは負けないようにしたい…。自身が身を置く業界に貢献して、技術を公開し、これからを生きる若者に料理人という「食のプロ」の世界に入門した者が、その修行の先には、どんな“幸せ”があるのかっていう可能性を、きちんと示してあげなくちゃいけない…。
本物を極めた者を、今、世の中は求めているんだという事を、根拠を持って、例を挙げてでもリアルに伝えていき、世界に誇る日本料理の伝承者としての、存在価値を世界に示す役割がいかに大切かという、私の実体験を語ってあげて、それを継いでもらう為のリアルな意識を、次世代に向けて我々は“繁殖”させていかなければ日本料理人という“職業”が世界で活躍する可能性に夢を見る若者なんか居なくなってしまう…。
職業、料理人なんて…みたいに世の中が思うようになってしまったら、それ、我々の責任ですよね。まず、我々が夢を掴まないと、夢を語る事など出来ない。夢を語る人がいなくなれば、誰も好き好んで料理人なんかにならなくなる…。
もっと身近に可能性を見せてくれる職業は山ほどあるのだから…
我々はいつしか、絶滅危惧種に指定されてしまうかもしれない。そうなってからでは遅すぎる…。いや、もう既にCITES1類かもしれない…。
悲しいことに…
今、世の中に我々の職業は求められているのだ、という日本料理に対する意識共有に力を入れ、日本料理発展の為に気概を持って覚悟を決めてくれる、未来に“継ぐ者達”を残そう。我々は、未来の日本料理に対しての責任を持って、その未来に“継ぐ者達”をきっちりと育てていこう…。残したいものが、いくらあったとしても、そしてそれがどんなに尊く、素晴らしいものであったとしても、継いでくれる者が沢山存在しなければ、それは継承されず、無くなってしまうのだ…
学会の場で日本料理のプロフェッショナルな方達が、もっと皆で進んで惜しみなく技術を公開し合う事により、発信力が形成され、料理界において、これまで厚いベールに包まれた日本発の美食へのアプローチをもっと大きな力で世界に啓発する事が出来るようになれば、世界中の料理人達の中でも日本料理に憧れる方達が、今以上に沢山、出て来るようになり、日本が世界の料理界を席巻し、リード出来る時代がいつの日か訪れるかも知れない…
そんな我々の持つ「和の心」が世界の料理界に、どんな“物差”や“天秤”で計られたとしても、歴史、伝統、文化に裏打ちされ、先人達が人生をかけて築き上げて下さった、確固たる本物である事は完璧に証明出来る…。
日本料理の本物は我が国にある。日本料理は、我が国日本の“国技”なのだ。
それを、我が国の自然環境の豊さと共に、人々の幸せに向けて、国内外で多方面からお伝えし、使命感を持って我々にも出来る活動として、本気で発信していく事は、日本国の『国家職務』を全うする事と同じ。
日本料理…それはテクニックや発想だけではない、あらゆる美徳の心理を表現し、国内はもちろん、世界の人々が、いつまでも日本料理を賞賛し続けてもらえるように…。
そしてまだ、この世に存在しない、これから“生”を受ける未来の方々にも、こんな料理を経験させてあげて欲しい…残し続けて欲しいと願われて止まないような、そんな日本料理の未来への可能性を、世界レベルで背負っていかなくてはならない。
その為には発信力が必要。発信する為のステージ、そして環境が本当はもっと必要…。オーナーシェフとして2つの顔を両立させながら、店を閉めて、やっていく苦労は皆同じ…。
私にはチームの支え、そしてチームの理解があってこそ実行できたと、あらゆる影の力、私を労ってくれる、優しさの気持ちに、この場をお借りしてスタッフ一同に感謝します。
私は死んだらおしまい…。
でも、私が死んでも残るもの…
人々やチームに語り継がれ、残してもらえるもの…
それを考えながら料理人として、明日からも生き抜いていこう…
私に関る人は皆、料理が好きになるはず…
その想いを胸に刻み、不器用ながら、道しるべも無い道を手探りで…
稚拙な言葉しか持っていないから、相手にも届かずに、海外で苦労して…
ステージでテンパって…
でも日本料理の為…
次世代につなぐ為…
何もかもが手造りで…
人知れず歩んで来た我々、チーム龍吟の裏舞台で歩んだ微力な一歩ずつの発信記録をチームを代表して、スタッフ皆の心と共に、ここに公開致します。
(この文章にある、私の想いは2013年9月、北海道函館市内で開かれました「第4回世界料理学会 in Hakodate」のステージ上で、実際に話した内容をまとめたものです)
学会では、スクリーンに映像を流しながら今、何をどうしているのかという事を、理由と共にステージの上で解説しながら発表していくのですが、今、ホームページ上でそれをお見せする事は叶いません…。
ですから、それぞれの映像に簡単ではありますが、文章による解説を入れさせて頂きました。
尚こちらの「映像」でございますが、これは元々、学会の映像プレゼンテーションの為だけに作ったものでございます。それをここでは当時の状態で、そのまま公開させて頂いております。
その為、今、龍吟の店舗内で「日本料理 龍吟」の料理としてお客様方にお出しさせて頂いております料理とは、あらゆる面で今現在の料理とは、もう既に“時差”が生じており、その料理、及び考え方や料理プロセスがキッチン内での時の流れと、進化の過程で、現状のものとは異なるものもございます事を、ご了承頂ければと思います。
On February 25th, 2013, the first Asia's 50 Best Restaurants Award 2013 by S. Pellegrino & Aqua Panna was held in Singapore. Along with the award ceremony, two days of workshops by some of the best chefs in Asia were opened to the public. We disclose the seminar of Ryugin's Chef Yamamoto that he presented with videos at his workshop. On that day, Chef Yamamoto was requested by the workshop committee to talk on the theme of Japanese "Dashi" and "Umami", so he declared "What is a true Dashi?" by explaining the process with original videos of Ryugin.
When Japanese Cuisine is discussed, most of the time, Dashi is the very first thing to be on the topic. Chef Yamamoto explained that the Dashi is like a living thing that the water got instantaneously breathed new life by the "Flavor" of Katsuobushi, dried bonito shavings, and the "Umami" of Kombu kelp. Chef Yamamoto passionately talked about his philosophy of fresh dashi to the participants from all over the world, on the stage in Singapore. We can't show you the whole presentation, but we disclose the Ryugin's process of fresh dashi to serve every guest within two minutes after shaving Katsuobushi.日本全国の鰻の消費量の約0.2~0.3%しか天然鰻は存在しない。養殖物が主流となった今、これこそ日本人として自然の恵みを誇らしくなるような本物の鰻と呼ぶにふさわしいプロセスを公開する。
大鰻は厚い皮、大量のヌメリ、脂肪とゼラチン質、そしてやっかいな小骨といった組織にまず分類して考え、一匹の魚体の中に存在する全てのパーツに的確な処理と調理法で自らの描く理想の状態の鰻に作り変えていく。素材のありのままの姿を見つめた結果、皮はサクッとクリスピーな仕上がりに。身は筋肉の力強さを火入れの状態で表現し、旨味のある脂肪はむやみに落とさず、皮と身の隙間のゼラチン質のネチッとしたリッチな食感も残しつつ小骨を全く感じさせずに、しかも旨味である肉汁と脂を必要なだけ閉じ込める事が全てのパーツに向き合った理想の結果であると私達は定めている。
大鰻は通常での鰻の調理法では料理として食べられるところにもっていく事さえ困難であり、セオリーはここでは役に立たずひとまず横に置いておく。これはあくまで大鰻のみに向き合ったメソッドである。水洗い終了後、鰻の大きさ次第ではバリアラップシートに包んで冷蔵庫で何日か寝かせ、死後硬直を待つ場合もあるが、この時背開きで内臓を出してしまうと身は全て開いてしまう事になるので酸化状態及びドリップを完全に防ぐ事は出来ず、寝かせた身を開くのも焼く直前にしたい為、龍吟では大鰻は腹開きと定めている。皮の表面には浅く切り傷をつけて熱による皮の伸縮率をこちらの理想の都合に変えていく。筋肉まで完全に皮を切ってしまうと、そこから脂肪が多く流出してしまう為、あくまで軽く傷だけをつけ、皮の引っ張る力を弱める事がこのプロセスの目的である。
骨は筋肉の内部で切断していくのだが、鱧の様に骨を切る為に身まで大きく切ってしまうと焼いた時に肉汁と脂を多く失う事になる。皮に対しては生の状態で焼き込むと噛み切れない硬い感じになる為、サクサクに皮を焼く為には短時間蒸気を当てて皮を一度完全にゼラチン化させる。この時、身にも熱が加わり熱による伸縮率を身と皮で計算した理想の状態に合わせていく。皮目から出したい脂の量と皮の厚さ、鰻の大きさ等を考えて必要量だけ皮に等間隔に切り込みを開ける。この一連の流れを読み違えると、伸縮により引っ張られた皮が身からはがれ落ちてくる可能性がある。
身を炙り、脂と混ざった旨いタレを刷毛で戻して仕上げる。焼き過ぎて必要以上の脱水、脱脂をしないよう留意する。通常の江戸前式蒸し焼きや関西地焼きの方法では辿り着けない鰻の扱いの一つを公開した。1㎏を超える鰻を身が柔らかい状態にして口の中で骨を全く感じずに焼ける方法がこれまでにあったであろうか。
未熟な桃をスライスして作った"ガリ"をここでは添えてみた。ジビエを使った日本料理に更なる可能性を・・・
これをテーマに野鴨の炭火焼を龍吟スタイルとして発表する。
2010年までに作っていたものから、今季2011年11月~2012年2月までに到達した、最新メソッドである。
今季は、皮のテクスチャーにスポットを当てた年だった。
野鴨、及び水鳥は、水面を泳ぐ際の浮力を維持する為、尾脂腺から脂を分泌して、羽をコーティングしている為、羽毛が水を全て弾き返し、鶏や鳩などと同じ方法での温水による毛抜き処理が出来ない。
その上、羽が生えている皮の表面は、肉眼では見えにくい一枚の薄い膜で覆われてしまっている。
鴨を焼いた際、皮目をパリッとさせたい為に鴨を干して皮の水分を減らしていたのだが、どうしても野鴨はうまく乾かず、蝋質をまとった様な状態になるだけで、鳩のようにはいかない。
ある日、銃弾の当たった鴨が網捕りの鴨の中に紛れ込み、その鴨はパラフィンを使用できず、素引きをした後、やむなくバーナーで毛焼きをした後に干しておいたら、弾が当たっている所だけがパリッと乾いており、これを見てから我々チームの研究が始まった。
もしかして野鴨の皮はパリパリに乾かせるかも知れない・・・そう信じて・・・
野鴨は、必ず網取りの無傷のものを用い、血の抜けている物は均一に熱が伝わらず、旨味に乏しい為絶対に使わない。
フェザーを抜き取り、ダウンはパラフィンワックスで完全に脱毛し、ワックスを冷やした時の、冷気で冷たくなった状態の鴨を、熱湯にくぐらせ、皮をピンと張らせる。
その後、もう一度表面を冷水で冷やしてから、バーナーを使って胸肉部分の皮を丁寧に炙って、目には見えづらい表面一枚の薄い膜を焼き切る。
それを舌用ブラシでこすり上げ、薄皮一枚をはがしてから風を当てると、皮の表面を完璧な状態に干す事が出来たのである。
その後、バトーにさばき、高温の油で香ばしく皮だけをパリッと作り上げ、その熱は筋肉に伝わるより早くクライアルジェットのマイナス196℃の冷気で冷ます。
その直後に、オイルバスで均一な火入れを施す。もも肉、内臓は"つくね"とし、骨からはスープを取る。さばいてフィレを炭火で炙り、肉汁を、やや躍らせ気味にする。
更に藁でいぶして、血の酸味や鉄分を肉汁と共に出汁のような旨さに変える"カツオのたたき"と同じ味の方向性を表現する。
胸肉の筋繊維がスポンジ状態となっている為、肉汁を蓄えている状態を完璧にキープした状態で口に運んでもらう為には、柳刃包丁を使って料理人の手でお造りを切り出すように、慎重に肉汁を押し出さないように切った物を皿に盛る。
皿の上でフォークに刺してカトラリーを使った食事では、肉汁が皿の上に流出してしまう位にあふれる状態に持っていき、料理人がこの大きさを一口で食べてもらいたいという想いを届ける事も、日本料理の完成度である。
瞬時に脂を沸かせる炭火の力で熱々の温度感をキープしつつ、パリンと割れるような皮目の食感と肉汁を閉じ込めている胸肉。
野鴨そのものを味わい尽くすこの一皿は、塩以外のものを必要とはしない。あらゆる角度と方法で骨切りをした沢山の鱧を医療機関へ運び、CTスキャンにかけて鱧の骨構造を科学的、医学的、物理的に徹底検証した龍吟山本征治の進化した鱧の骨切りと扱い方を公開する。なおこの方法は国内及び海外のあらゆる料理学会や料理サミットで正式に発表してきた記録である。
鱧の骨は、まな板に乗せた時、まな板から25°の角度に湾曲して入っており、平らなまな板に乗せて90°の角度で骨切りすると、鱧の小骨の先端は物理的に尖る事となる。まな板そのものを25°の角度に傾斜して骨を切れば小骨の断面は切り株状に平に切れ、滑らかな触感となる。
鱧の皮は表面からヌメリの層、ゼラチン質の層、繊維層、と3重になっており、70℃のお湯で70秒間ゼラチン質を戻してやる事で繊維質までギリギリ熱を通す事が出来る。熱によってふやけたヌメリとゼラチン質の層を全てこすり落とし、繊維層をむき出しにしてやる事で、まず生臭みが全く無くなり、その繊維層はその後の調理の際、58℃で完全にゼラチン化する状態となる。もちろん筋肉への熱による負担は全く無い。
今回の様に揚げ茄子を巻いて皮目に熱が通りにくくした状態でも全く皮の硬さはおろか触感すらなくなる程滑らかな仕立てとなりこの処理を施した鱧は皮の硬さを考える事無く身の都合だけを考えたギリギリの加熱時間及び低温での調理が可能である。
骨切りは鱧の小骨に対してジャリジャリと、音を立てて切り込んで向かい合わせるのではなく鱧の筋肉に対し大きなストロークで39cmの包丁の長さをフルに使って包丁の重さや力を鱧の筋肉にかけずにその前後の動きだけで1枚1枚必ずゆっくりと筋肉をやぶらないように滑り込ませながら正確な着地点で切っていく。あくまで包丁の動きは小骨では無く、筋肉に都合を合わせて1枚1枚を切る訳であり、骨に対して切り込むという感覚はなく、物理的に骨は自然に通り過ぎて行く刃によって"切れてしまっている"というのが我々の感覚である。音が出れば出る程、骨は切れているのではなく砕けている状態になっており、100倍に拡大して見るとそれは明確である。したがってジャリジャリと速く切って音を立てるのは技術として完璧ではない事を科学的にも食感においても証明している。このように死後硬直の全く起こっていない鱧を繊維を乱さずに切れば、たとえ葛粉を打たなくても身の旨みの外への流出は最低限に抑える事が出来る。ただし皮が薄くなった分、繊維層1枚を残して切る骨切りは技術的にはかなり難しくなる。
今回は日本酒、水、昆布を使い鱧の骨から出汁を取り、二種類のデンプン質を使って鱧と茄子をくっつけた。一番出汁の吸い地とは違うコクのある仕立てにした夏のお椀を紹介する。2012年10月1日に東京銀座で開催された「赤肉サミット2012」で龍吟chef山本が発表したデモンストレーション映像の一部分である料理の箇所だけを抜粋して紹介する。
龍吟におけるD.A.B.を使った作品の1作目と2作目となる。
牛肉の塊がD.A.B.となる仕組みや、ウェットエイジングとの違い、熟成の全てにおけるプロセス、又、自由水と結合水の違い、及び熟成後の一般生菌数の減少、酵素プロテアーゼによるタンパク質及びゼラチン質の変性、ナッツ香が発生する理由については、すでにD.A.B.における一般的知識と判断し、ここでは書ききれない為、省略する。
D.A.B.の魅力としてD.A.B.の骨は正にナッツの香りのする"香木"の様なものであり、そこから取れるスープはナッティなフレーバーを強く纏う。そして注目はゼラチン質の見事な変性...。グミの様なテクスチャーに生まれ変わっているという事...。そして肉は旨味が凝縮されており自由水が無い為、一般生菌数がなんと大幅に減少しており、安全性は熟成前より、より高いものになっている為、安全面での火入れの幅すら可能性が見えてきている。
今回は赤身とゼラチン質の割合をこちらが旨いと思うバランスにカット調整してから、変性した"筋"をクリスピーでサクサクな"皮"に置き換えて作り込んでいくプロセスと、シャリウォーター(強酸度の酢、赤酢、砂糖塩水)を使って、炊くだけで酢飯となる龍吟式のシャリを使ってD.A.B.の"ヅケ"を合わせた丼を紹介している。脆皮D.A.B.には金萱の茶葉でミルキースモークをかけた繊維割りの焼海老芋を合わし、丼の上には胡麻と塩昆布を刻んだ物を散らした。龍吟夏のスペシャリテ、鮎の炭火焼を紹介する。
龍吟で使用する全ての食材の中で最も入荷するだけで大変な労力を伴うのがこの鮎であり、鮎の沢山獲れる地方で食べる美味しさと、時差の無い美味しさを東京六本木で伝える事がまず鮎を出す上での我々の考えである。
龍吟では鮎を焼く際にまず3つの絶対条件を唱える。
①鮎をキッチンで焼く時に生きて泳いでいる事
②16cmをベストの基準に考えその前後の大きさである事
③必ず良質な備長炭で焼き上げる事
美味しいベストの鮎の塩焼きとはどの様な状態の事を言うのかを常に考え、その理想の状態を作っていく為には前出の3つの条件が必須であり、頭は自らの脂で炭火の上でから揚げ状態にし、腹は熱伝導性の高い金串を使いつつ内臓の水分を抜き、しっかり火を入れた上で、しかもほっこりとした状態に、尾はヒレまで食べられる干物のような仕上がりにする事だと我々は定めている。
一度氷締めした鮎は死後硬直の為、筋肉を反らしたい方向に熱を加えて自然に形を作る事が叶わず、体内の温度が下がっている為、炭火に鮎をかざした時、表面と内臓、中の筋肉に至るまでの加熱に大きく温度差が生じてしまい鮎自身の脂を対流させる事がまず叶わず、理想の状態には私達の考えからすると程遠い物になる。
下アゴ間接を外し水分の逃げる窓を作り金串で胆のう膜を破り、苦みをほろ苦さに変えてやり面積を増やす。と同時にエラ蓋を開かせ、脂をより受け止められるようにして頭をより強くから揚げ状態になるようにする。
塩は沢山振った方が美味しく、辛くない岩塩を使うとより多く振れる。竹の横串が吸った脂をスモークチップ替わりにしてその香りを鮎に最後に戻してやる。
鮎の中にあるスイカの香りに合わせ、スイカで紅蓼酢を合わす。通常の鮎蓼は日本酒を含む全ての飲み物に合うとは思えず、合わせる理(ことわり)もない為使わない。
炭火を操れるようになるまで毎日焼台の前で想いを傾け、まさに焼場セクション最も技術を要する料理ではなかろうかと思う。日本料理人としては技術習得必須科目である。
16cmの中に3つの異なるテクスチャーを付け、頭から尾ビレに至るまで全てを余すことなく、骨を抜かずに食べる事こそが鮎の楽しみだと思えるのだが...。シェフ山本征治の春のスペシャリテ春菜尽くしの2011年バージョンを紹介する。30種類程の春野菜をそれぞれに下処理、調理し温度管理された温かい皿の上に温かい温度状態の春野菜を盛りつける。通常のお浸し、炊き合わせといった料理とは異なり野菜自体の持つ香り、旨味、水分、えぐみを重視して出汁の含ませ方や香りの出し方、又ピューレにして添える物の組み合わせ方を明確に定めており、どこから、どのバランスで食べても一定のバランス感で混ざり合う様に盛り付けを配置する。
龍吟では通常一人前ずつの盛り付けでお出ししている料理を、今回は大皿に仕立てて紹介している。
何より提供時の温度が大切であり、冷めてしまえば表現したい物とは全く異なる為、一度に6人分以上を作る事はなく、常時3人体制で一個ずつの野菜の盛り付けを正確に行う。日本料理の定番 魚の味噌漬けの炭火焼を、龍吟メソッドで紹介する。ここでは最も味噌漬けとしてなじみの深い鰆を用いて、ガストロノミーとしてのプロセスの完成度を紹介する。
通常味噌漬けでは、魚の身に対して味や香りを付けることによって、生臭さを抑え、風味豊かに仕上げる効果を期待できるが、どうしても焼く際に焦げやすく、弱火で炙ると身の水分が味噌漬け時に脱水して、少なくなっている分、よりかたく、締まった食感になることが多い。
鰆の皮は炭火で焼いてもあまり美味しいものとは思えず、ここでは皮は使わない。
鰆はサクのまま味噌漬けにして串を打ち、素晴らしい香りの柚子オイルの中で一時適温加熱をする。この段階で魚の加熱の、90%を適温条件下で仕上げる。身の中の水分が乾燥せず、ジューシーであり柚子の香りを移しながら、表面から中心まで全て同じ柔らかさで、全く身を締まらせずに、熱を通すことができる。
ベストな火入れをまず作り上げ、そこから炭火を用いる事とする。皮のパリッとした食感がない分、それを後から本来の皮より美味しく、作り上げてしまう。
まずオイルを拭き取り、皮をはがした面に卵白を塗ってリ・スフレをまんべんなく、くっつける。両面を一気に炭火の強火で炙り、煙を上げて炭の香りを付けながら、香ばしさとサクサクの食感を作り上げる。リ・スフレで作った皮目にブレンドしてバランスを整えた黒酢を打ち、深いコクのある香ばしい酸味を纏わせる。
始めから全て炭火で、焦げつかさないように、このポーションを グラデーションを作らずにベストな火入れにもっていく事は現場・サービス上、不可能であり、従来の味噌漬けは多少しまった食感が当たり前のようになっている事を覆すプロセスを、ここでは紹介した。
あらゆる魚で、このプロセスは実践でき、皮を残す魚にも もちろん使え、日本料理では決して明確に語られない、火入れによる美味しさへの影響が、どのくらい大きいものであるかを知ることとなる。
魚も肉も煮物の野菜も、ベストな状態の火入れのイメージと追及が、日本料理の確実な進歩につながるのである。
日本料理の基本技術と伝えられているものがテクニックにおいて、本当に、本当にこれでいいのか、今、自分の目の前のものが、これで完璧なのかと問いただし、火入れの状態にしても、火が通っていればいい・・・炊けていればいいというのは、我々の中では料理と認めることは出来ない。
料理とは、理(ことわり)を料(はかる)ものでなくてはならないと定めているからだ。
味噌漬けに関して言えば、このプロセスを用いている限り、炭火での火入れ効果は表面だけで充分であると、我々は考えている。
ここでは、シェフ山本の秋のスペシャリテ 松茸の黒酢焼を贅沢に添えてみた。鱧の焼霜造りについては様々なやり方を試みてきた。身を完全に生のままで皮目だけ火入れする方法もあるが、全くの生より軽い火入れ、ここでは58℃の昆布出汁の中で正確に火入れする事により、鱧の美味しさに生のままより豊かな味のふくらみを持たせようと考えた。鱧の皮を焼く方法だがガス火はまず選択肢に無く、炭火で炙る、又は炭から立ち昇る裸火で直に炙る。もしくは焼石で焼く、等を昨年まではやっていた。今年になり炭に乗せて直接焼けば瞬時に焼けるのではないかと考え、その新たな結果をここに公開する。尚、他の魚介類においてもこの様な方法を試している。鱧自体が熱源である炭を自ら抱え込む様な形に反る為、皮目の仕上がりは満足のいくものであった。
鱧は例により熱で皮を薄くし、独自の処理を施し、純米酢、すだち果汁、柚子果汁をブレンドした合わせ酢で皮だけ締める。そうする事で皮の繊維はほぼ食感が無くなる程やわらかくなり、また軽い酸味とすだち、柚子の香りをまとい、後の焼松茸に寄り添う仕立てとなる。
焼松茸をすだち割醤油の中でからめ、焼松茸の中から出てくる香り高いジュースを鱧にからめて盛り付けする。
通常鱧は火入れしてからあまり冷やしこむと皮がゴムの様な食感になる為、あまり冷やしても皮のある場合の鱧はたいして旨いものでもない。20℃以下になる事は口の中で旨みを伝える分にはあまり良い事ではない。今回公開している処理の方法だと皮のかたさの心配は全く必要なくなる。
尚、龍吟では小鱧は全く使わない。国内産の800gサイズのものの身と出てくる出汁の旨みが好みであり、その大きさの鱧に対応する様々な処理で身の旨さを譲らないようにしている。国産以外の鱧を科学的に専門機関で大量にサンプル検査して旨みの量を検証した結果においても鱧としてのピュアな旨みに欠け、また出汁が出ない為、龍吟では使用することはない。
まず基本的な下処理と完璧な骨切りの技術、そして的確な火入れのプロセスとテクニックをマスターする事が大切であり、骨の細さや量、皮の薄さ、脂の量で身の旨みを犠牲にしてまで扱いやすさで魚を選ぶ事は無い。生きたアイナメを氷結水の中で一時的に低温麻酔状態にして、活〆による神経伝達組織に対しストレスを全く与えないようにした龍吟の活〆を公開する。
圧縮空気を用いて一瞬のうちに神経組織を完全に魚体の外に放出する。死後硬直以前の身が完全に活かっている状態でお椀に仕立てる事を絶対条件とし、筋肉の繊維に対し縦に切る事で椀に仕立てた時に力強い筋肉を一口ごとに、ばらける事なく味わう事ができる。
必ず一客ごとにお椀をお出しするタイミングで手作業で"血合い"を取り除いた鰹節を削り、その都度引き立て一番出汁を2分以内に供する。2012年1月、スペインマドリードで開かれた世界料理サミット"Madrid Fusion 2012"において、Chef山本がステージ上で解説しながら発表した内容を、編集無しでそのまま公開する。
日本の伝統料理"魚の干物の炙り焼き"を分析し、干しながら熟成させる事で起こる、たんぱく質の変化やアミノ酸の形成、生の状態から旨味が増えていくそのメカニズムを、まず日本の食文化と歴史を交えて解説した。そして更にガストロノミーとしての進化を形にした龍吟が贈る新たな「干物」のプロセスと、日本近海の全ての海の幸、素材の豊かさ、クオリティーの高さ、扱う技術レベルの高さをステージ上から伝えながら、たった一匹の魚の可能性に向かい合う、一人の日本料理人の姿を披露した。
日本料理を海外で語ったり、伝える時にまず、日本人の持つ精神をしっかりと伝える事が大切であると考え、伝えてゆくのだが、精神性を伝える事は料理を伝える事より更に難しい・・・。我々日本人の感覚や価値観、精神性が世界の共通言語で伝えられ、語れるようになれば、自ずとフランス料理、中国料理の様に日本料理も料理界の世界共通言語として、国を超えて全ての人々に認知され美味しさを同一基準で語れるようになると我々は考えており、これからの活動テーマの1つと捉えている。
さてここで選んだ「赤ムツ」だが、この魚は身の中の脂肪、及び水分量が共に豊富であり、骨も鱗も余す所なく美味しさを表現出来る可能性を強く秘めた潜在能力に長けた素晴らしい魚である。Chef山本が香港で出会って衝撃を受けた、とあるレストランの脆皮鶏(ツイピーチー)のテクスチャーを理想としながら、このテクスチャーは魚にも応用出来るのではないかと考えるに当たり、赤ムツが最も理想の形になるのではという考えの元に試行錯誤を始めた。
鱗・皮・筋肉・ヒレ・骨...そしてドライエイジングの「理」全てに向き合ったのだが、プロセスはもとより、伝えるべきは2つの事。まず1つ目として素晴らしい旨さを持ちながらガストロノミーとして表現されてこなかった、干物の可能性をガストロノミーレベルに引き上げる事。
そして2つ目はテクニックは皿の上に表現するものだけではなく、魚そのものの中に秘するという事。見せない、気づかれないというテクニックも表現の一つであるという考え方を伝えたかった。
その真意はこの魚が、開いて焼いただけで理想とする美味しさの条件を、全て満たしているかのように皿の上からゲストに感じさせる事。パリンと割れるような皮の状態と、サクッと食べられる全ての骨に至るまで細部に渡り自然環境でパーフェクトなテクスチャーを備える、こんな魚があたかも存在しているかの如く料理を作り上げる事。プロセスは映像の通りだが、初めの1を生み出すまでは、さばき方を含め試行錯誤の連続だった。
魚一匹全てを大切に扱い、大切に味わう我が国日本の精神が、この一皿に宿る事を思い描き、我々の愛でる日本料理は世界中の全ての方々に愛される宝物でありたいと思う願いを込めて、2012年1月に完成を見た一品である。2005年から続く龍吟の"‐196℃のりんごアメ"の続編。りんごアメを盛り付けた皿にソースでQRコードを特注のシルクスクリーンを使って転写して携帯電話よりシェフ山本のメッセージを読み取ってもらい、ゲストにご挨拶...。といった遊び心のあるデザートとして世界各国の料理学会及びサミットでこれまで"‐196℃のりんごアメ"を龍吟シェフ山本は発表してきた。その2006年バージョンから毎年スタイルを少しずつ進化させていき、今では今回紹介する苺アメの他、桃アメ、赤肉メロンアメ、葡萄アメ、柚子アメ、マンゴーアメ、チョコアメ、トリュフアメ等色々なバリエーションを数年間かけて展開してきた。
季節の果物を模して、薄いアメでシュクルスフレの要領でケースを作り、ロートを使って中に粉末シャーベットを入れてゲストにスプーンで割ってもらってから、熱々のフルーツソースをサービススタッフの手によってゲストの面前で上からかけて仕上げる、というスタイルは全てのバージョンで同じであり、熱々と超低温のプラスマイナス200℃以上の温度差を楽しんで頂けるように仕立てている。
イソマルト及びクレームターターの分量でアメの仕上がり状態は大きく変わり、口の中でネチャネチャした食感にならない様、サクサクッとしたアメの食感を大事にしている。
ニトロリキッドで作る超低温のシャーベットの場合、中のアパレイユに含まれる脂肪分の割合がとても重要で全く脂肪分の無い物は凍結状態を見極めながらロイヤルティーヌやクランブルの量などによって中に入れるシャーベットの密度を調節しなければ、あまりにも冷たすぎる食感になる可能性もあり、上から熱々のソースをかける事はその面においても理にかなっている方法である。
なるべく本物のフルーツに近付く様に形や大きさは造り手側も自由に楽しんで制作しており、今後も更に色々なバージョンを発表する予定である。一つ一つ手作りで作業するしか無く、数名のキッチンスタッフでアメ造りを担当する。
元々の-196℃のりんごアメの発案は日本のお祭りにおける屋台のりんごアメをガストロノミー的にアレンジできないのか?から始まり、試行錯誤の結果生み出した物であり、屋台アレンジは日本人に慣れ親しんだ思い出もあり綿アメ機やカキ氷機、たこ焼き機、ソフトクリームマシン等をフルに活かして新たな日本料理の可能性を見出せるデザート作りを日々研究している。